田口淳之介に撃ち落された日

 

もともとジャニーズは好きでした。

天才テレビくんに出演していた生田斗真君が好きでアイドル誌を買いだした。8Jのジュニア黄金期。スマスマだけは夜更かしを許されて見ていた。当時は生田君と松本潤君のじゅんいく’’コンビと時代の流れに漏れずKinkikidsの2人が好きでした。

Kinkikidsのデビュー、嵐のデビューをリアルに体感した年代でした。

 

高校からは新しい友達ができて部活一直線で青春。そこから学業で少し都会に出て二次元やバンドブームにも乗ってそこにきて嵐の5大ツアー。あのパジャマでわいわいして乳首Tやらしてた嵐が!?と非ジャニオタを口説き落としてローチケでチケット入手して地元参加(友人をジャニ沼に突き落としてしまった)。夢の世界をリアルに見て再熱。5×10と国立競技場と続き嵐の昇華していく様子を体感した。

二宮さんが好きで特に相葉さんとの’’にのあい’’コンビが大好きだった。

 

同時にY&Jも活発でコンサには友人に誘ってもらい参戦していました。

KAT-TUN担当の友人は上田さん担当だったため上田さんの話を中心にKAT-TUNを知っていく。(友人はマウピに遠征もしていた。今思えばなんて羨ましい!!!)初めて参加したKAT-TUN壁魂。印象としてはオラオラ!かっこいいけど怖いよ!でした。

そしてまさかの私の母上が亀梨さんのファンと発覚。

想像以上にお熱だったため鎖魂に母娘で参戦。スタンド3Fの一番端でメンステをほぼ真横から見た。が、まさの3Fスタンド後ろからKAT-TUN登場。スタンド横の階段を降りてメンステに戻る順路だった。私の席の真横だった。目の前30cm距離の上田さんと田中さん。2人とも鋭い眼差しだったが、客席に差し掛かると目を細め笑いかけてたのが印象的でした。思わず手に触れた上田さんの衣装と田中さんの手に「すごい。目の前にアイドルが居る!」と思った。

今思えばそこで一旦燃え上がった。しかし担当が出来る事は無かった。まだそこまでの情報と熱量が無かった。正直田口さんは背が高くてMCではたまにしゃべる声の大きい人という印象しかなかった。

関心があったのにツアーが行えない年とメンバー脱退が続いた。

TVや曲などは一応はチェックしていたが基本生のコンサートが一番好きだったので熱は燻ったままほぼ鎮火していた

 

 

COUNTDOWN LIVE 2013」が決まった。

 

少々私事で忙しい時期でぽっと聞いて

「単独カウコンてすごいなー。」

くらいに思っていたら母上様からの出動命令。

「大阪に行ってKAT-TUNのグッズを買ってきて」

色んな事情で行きたくても行けない母のためにと飛行機を取り、どうせ行くならコンサートも参加だ!とFC入会しチケットを取り、ミニアルバム「」を聞いた。今までのKAT-TUNのセルフイメージ通りのでもあり何か違うイメージも沸いた。しかしカウコン後の京都旅行(単独寺神社巡り)を予定していたのでるるぶの方に真剣になっていた。

 

2013.12.30。

一番の目的であるグッズを早々に全種買い。自分の分はどうしようかと迷った。保存に自信が無いので基本どのGもペンラとパンフ以外のグッツは買わないのだが、ペンラと田口さんのクリアファイルを購入。初めて単品で買った田口さんのグッツでした。今でもなんで買ったのか解らない。只単にかっこいいと思ったからだろうか。

そして買い終わりブースを出た瞬間

田口さんの内輪売り切れでーす!!」

のアナウンスが聞こえた。

こんなに早くに売り切れるのか?そして田口さんの内輪が?と思いながらまだ早い時間だったので、荷物を一旦置きにホテルに戻り日本橋を堪能した。その後何が起きるかも解らずに。

 

入場しコンサが始まる前のざわめきを味わいながら着席。

暗くなり声援があがる定番の流れ。

しかし曲も無くビジョンには何も写らない。

メンステに黒いコートに包まれた4人が現れた。

ざわめきと戸惑いと歓声が混ざる不思議な一瞬をすごく覚えてる。

静かにでも確固たる意思で4人はこれまでとこれからを語った。

私はKAT-TUNの歴史に刻まれる瞬間に居ると思った。

 

それと同時に田口さんの屈託の無い声と真摯な言葉、立ち姿の美しさに目がいった。

 

周りのファンの歓声とすすり泣く声にもらい泣きなのか何なのか解らない感情で私もなぜか泣いていた。

そしてイントロと派手な特効で「GIMME LUV」の曲が始まった。

 

長い手足が伸び、鋭い眼差しの彼が踊り歌いだした。

 その時私はKAT-TUN田口淳之介撃ち落された。

なんて美しい人なんだ。なんて美しく踊るのだろう。かっこいいと可愛いを瞬時にいったりきたりする表情に釘付けになっていた。

 

そこからは怒涛。「遥か東の空へ」は天界に招かれ「MOON」の幻想。「THE D-MOTION」のダンスチューン。

そして「PHOENIX」「FIRE and ICE」壮大な演出と昇華するKAT-TUN自身を魅せつけられ、田口淳之介の存在感が私の中で確固たるものになった。

 

終わった後の感想は混乱だった。

単独遠征だったのでホテルで悶々とコンサートを反芻していた。

凄かった、コンサート自体も4人の意思も。「田口淳之介」の存在感。周りの観客の歓声と涙の意味を考えた。

 

2013.12.31も書くと長くなるのでコンサ内容は割愛するが、ここで私は完璧にKAT-TUNの存在に圧倒されひれ伏した。田口さんのダンスに歌に笑顔に完璧に撃ち落された。たった2日のための演出や構成。しかしカウントダウンをするので30日と31日はセトリやもろもろは違う。本当に一瞬一瞬がその時しか無かった。回数でいったら2回目だが、最後のPHOENIX」を私は泣きながら目に焼き付けていた。

 

翌日は心半分で京都の寺を巡り、自宅に帰るとコンサートれぽを書きまくった。

友人に感想を言いまっくった(友人をジャニ沼に突き落としてしまったその②)

元々KAT-TUNN担の友人に過去の映像を借りまくり寝る間も惜しんで鑑賞した。

たった2日間のコンサートで私ははまっていた。何よりも田口さんに落ちた事が自分も周りも驚いていた。ジャニーズでも二次元でも基本コンビで好きになる傾向があるのに1人に単品だった事と、それまで全くと言っていいほど担当になる気配や予感もなかったからだ。

 

一過性の気持ちなのか?この気持ちは継続するのだろうか?とも思ったが、そんな心配は要らなかった。KAT-TUNの活躍がこの後怒涛に続いてくれたからだ。

 

舞台「フォレスト・ガンプ

2日で3公演を鑑賞した2014.6.9-10。舞台自体も素晴らしかったが田口淳之介の存在だけで座っているのに膝が笑ってた。笑い泣きける最高な舞台だった。

 

アルバム&ツアー「come Here

幸運にも地元、代々木オーラス、カウコンと参加しました。

地元ではトロッコ横の席で田口さんを間近に拝み、改めて彼のビジュアルの美しさに驚愕した。今まで味わった事のない楽しみ喜びをこのツアーで沢山味わいました。

 

ツアーの間にもドラマ、バラエティ、映画、新曲と4人それぞれが活躍。

特にドラマ「きょう会社休みます」の大城壮役の田口さんには歓喜した。

田口さんのビジュアルとキャラクターが生かされながらも、周りを思いやるちょっと騒がしいけど優しい同僚役がとても好きでした。

 

2016.3.22のKAT-TUNデビュー9周年

担当と言えるのは2年もたっていない私ですが、KAT-TUNのおかげで出会えた長くからのファンの方々のお話や祝福の言葉を聞いて感銘をうけました。

 

そして決定した東京ドーム公演

9uarter LIVE2015 in TOUKYO DOME

過去の映像などを見返した中でも東京ドームの公演はやはり印象的だったためKAT-TUNの東京ドームには一度は参加したいと思っていたので心が乱舞した。

遠征などまあしているが東京ドームには私は一度も行ったことがない。初めてがKAT-TUNならどれだけ幸せか。チケットが取れるかもまだ解らないのに私は楽しみでしょうがない。飛行機とホテルの準備は万端だ。

 

KAT-TUN田口淳之介に撃ち落されてからの日は浅いです。

もっと早くからはまっていれば…!!と思う事は多々ありますが、それまでの私の見てきたものや道があり、あの日あの時の「COUNTDOWN LIVE 2013」を見たから好きになったんだと思う。どうやって何で好きになるかはあのタイミングだった。

昔の映像や話を見て聞いて思う事幸せな事もあるが、私が好きになったあの時から今までが、私の中のKAT-TUNであり田口淳之介さんだと思う。

落ちた日の後にもグループや個人の活躍の場がどんどんあったのも良かった。くすぶる暇も無い程その熱は増すばかりです。

 

COUNTDOWN LIVE 2013」から今までが私の中で一区切りな気がして一度振り返りたいと思いブログなんてものを何年かぶりに書いてみました。

書いてみるとまとまらず長くだらだらと書いてしまいましたが、結局は今30歳手前にしてまさか新たにここまではまるアイドル田口淳之介に出会えた事、撃ち落とされた事が自分でも衝撃だったいう事です。

今では本当田口淳之介がいるから頑張れる事、癒される事が本当に沢山あります。ありがとう。あの時私を撃ち落としてくれありがとう田口淳之介さん!!!!!!

 

9uarter LIVE2015 in TOUKYO DOME」から始まるであろう新章がどんな内容になるのか、どんな物語になるのか楽しみにしています。